今年はもう少しまめに更新します…
こんにちは、関東の梅雨が明けました、いよいよ夏本番ですね。
読みましたのご報告ありがとうございました。
7/09 22時、7/10 14時
次までちょっと間があくと思いますが、またぜひいらしてくださいませ。
そういえば「ジャスミン」でミスタッチを見つけたんですが、見失ってしまいました…
たしか「て」が1回のところ2回も打ってあったと思うんですが(笑)
気が付いた方はお手数ですがお知らせください^^;
今日は午前中外出して戻ってきまして、教材つーかプリントを作って、もうひとつあるんですがもう眠くて頭が働かないのであきらめました。
昼寝の前にちょこっと不二について書いておきます。
「ジャスミン」では、不二は英二について自分と対照的な人間だと感じているように書きましたが、私の見解は不二自身とは違ったりします。
この二人はどちらかと言えば似た者同士、英二と同様、不二も感情の好悪を基準に行動する人間ではないでしょうか。
思慮深い不二は、日常生活においては自分の欲求を表に出すことは極めて少ないようです。
しかし、試合という非常事態においてはその限りではない。
彼がゲームに取り組むエネルギーになるものとして、もっとも特徴的なのが「怒り」です。
それがない場合は、むしろ、「何故戦わねばならないのか」という問いを模索していることが多い。
話はそれますが、この「テニス(あるいはゲームで勝利すること)への模索」は、彼自身の自我に対する模索と置き換えてよいと思います。
そしてこれこそが、テニプリという世界、ひいてはスポーツ漫画界における、不二というキャラクターの特異性と言ってもいいと思います。
で、話をもとに戻しますと、不二が戦いたい相手というのは自分が興味のある人間、こだわりや愛着がある人間です。
怒りにしろ愛着にしろ、非常に個人的な理由からでしか、彼はゲームに臨む意義を見いだせない。
それを彼は自覚してはおらず、そういう動機がないゲームについては、「どうして戦わねば?」という問いが頭をもたげてきてしまう。
この点は、手塚や大石と比較すればその違いがはっきりするでしょう。
二人は「理想」や「理念」といったものを掲げて、それが行動の基準になっている。
それから、海堂や乾が持っているような、勝負にこだわりを持ちつつも勝負の世界を超えた境地、自分自身を磨き上げたいという欲求も、不二と英二にとってはほぼ無縁であり、主たる行動理念にはならない。
そう思ってみると、不二と英二が同種の人間だという見方もできると思うのです。
私は二人を「対(つい)」になるものと見てもよいと思っています。
東洋的な言い方をすれば「陰と陽」です。
わかりやすい「陽」の英二と、わかりにくい「陰」の不二。
この同種の人間についての「陰/陽」の対立は、不二と英二に限らず、リョーマを除く上級生8人全員に当てはまると言えないかなと最近思ってます。
とはいえ、この話は主眼でないのでまた戻しますと、「不二周助」は「菊丸英二に対するアンチテーゼ」であり、さらに言えば、主人公「越前リョーマに対するアンチテーゼ」たる人物ではないかと思っています。
「リョーマに対するアンチテーゼ」という話はまた今度。
日曜の午後に書くような話ではないですね。
ではではまた~!
読みましたのご報告ありがとうございました。
7/09 22時、7/10 14時
次までちょっと間があくと思いますが、またぜひいらしてくださいませ。
そういえば「ジャスミン」でミスタッチを見つけたんですが、見失ってしまいました…
たしか「て」が1回のところ2回も打ってあったと思うんですが(笑)
気が付いた方はお手数ですがお知らせください^^;
今日は午前中外出して戻ってきまして、教材つーかプリントを作って、もうひとつあるんですがもう眠くて頭が働かないのであきらめました。
昼寝の前にちょこっと不二について書いておきます。
「ジャスミン」では、不二は英二について自分と対照的な人間だと感じているように書きましたが、私の見解は不二自身とは違ったりします。
この二人はどちらかと言えば似た者同士、英二と同様、不二も感情の好悪を基準に行動する人間ではないでしょうか。
思慮深い不二は、日常生活においては自分の欲求を表に出すことは極めて少ないようです。
しかし、試合という非常事態においてはその限りではない。
彼がゲームに取り組むエネルギーになるものとして、もっとも特徴的なのが「怒り」です。
それがない場合は、むしろ、「何故戦わねばならないのか」という問いを模索していることが多い。
話はそれますが、この「テニス(あるいはゲームで勝利すること)への模索」は、彼自身の自我に対する模索と置き換えてよいと思います。
そしてこれこそが、テニプリという世界、ひいてはスポーツ漫画界における、不二というキャラクターの特異性と言ってもいいと思います。
で、話をもとに戻しますと、不二が戦いたい相手というのは自分が興味のある人間、こだわりや愛着がある人間です。
怒りにしろ愛着にしろ、非常に個人的な理由からでしか、彼はゲームに臨む意義を見いだせない。
それを彼は自覚してはおらず、そういう動機がないゲームについては、「どうして戦わねば?」という問いが頭をもたげてきてしまう。
この点は、手塚や大石と比較すればその違いがはっきりするでしょう。
二人は「理想」や「理念」といったものを掲げて、それが行動の基準になっている。
それから、海堂や乾が持っているような、勝負にこだわりを持ちつつも勝負の世界を超えた境地、自分自身を磨き上げたいという欲求も、不二と英二にとってはほぼ無縁であり、主たる行動理念にはならない。
そう思ってみると、不二と英二が同種の人間だという見方もできると思うのです。
私は二人を「対(つい)」になるものと見てもよいと思っています。
東洋的な言い方をすれば「陰と陽」です。
わかりやすい「陽」の英二と、わかりにくい「陰」の不二。
この同種の人間についての「陰/陽」の対立は、不二と英二に限らず、リョーマを除く上級生8人全員に当てはまると言えないかなと最近思ってます。
とはいえ、この話は主眼でないのでまた戻しますと、「不二周助」は「菊丸英二に対するアンチテーゼ」であり、さらに言えば、主人公「越前リョーマに対するアンチテーゼ」たる人物ではないかと思っています。
「リョーマに対するアンチテーゼ」という話はまた今度。
日曜の午後に書くような話ではないですね。
ではではまた~!
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