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不二は、英二に対するアンチテーゼということを前回書きました。
今回は、不二がリョーマに対するアンチテーゼでもあるという話を、途中までになると思いますがいたしますね。
まあ、でも全て私の主観にすぎません、そういう考え方もあるのね程度に受け止めてくださいませ。

不二というキャラクターを知ったばかりの頃、私には一つの違和感がありました。
それは、ゲームに対する執着心の無さという設定から来るものでした。
なんだってこの子はこんなこと考えてるんだろう、と単純に疑問に思いました。
しかし、そのうちそれも「当たり前のこと」になってしまいました。
「当たり前のこと」になったのには、今考えればそれなりの理由がありました。
その後、みゅを観劇するようになり、不二が他のキャラクターの比でないほどの難役であると感じました。
その辺りから、不二というキャラクターの不思議さを再び考えるようになりました。

私はある時、これまでのスポーツ漫画、それも少年誌のスポーツ漫画で、勝利することの意味に疑問を持ち、勝利に執着できないといったキャラクターがいただろうかとふと考えたのですが、思い当たりませんでした。
そういうキャラクターがいたにしても、非常に珍しいことなんではないだろうかと思ったのです。
なにしろ普通に考えて、運動部に不二のような発想の少年はいないでしょう。
いるとしたら、文芸部か、哲学研究会でしょう。
だからきっと、それまでのスポーツ漫画には、そうしたキャラクターは登場しなかったのです。
ただ単に、リアルに存在しないから。

しかし、不二の悩みというのは、格闘系または戦闘系の漫画、アニメにおける登場人物が持つ悩みの一種の典型です。
某ガンダムの主人公や登場人物が抱えている悩みといえば、わかりやすいかもしれません。
それをスポーツ漫画の登場人物である不二が抱えているという点で、私は違和感を持ったわけです。
しかし同時に、既視感のある悩みだけに、次第に慣れていって「当たり前のこと」になったのだと思います。

では、なぜ、不二というキャラクターがテニプリという世界に存在するのか。
そのことにも、また大きな意味があると感じます。
その一つが、主人公、リョーマとの対照です。
「あんたはどうあれ、俺は上へ行く」というのが基本スタンスの主人公。
「上へ行ってどうするんだろう、それに何か意味があるのかな」と思っている不二。
対照的な二人がいれば、そこに対立が生じるのが、通常のセオリー通りの物語。
しかし、テニプリはそれらとは異なり、主人公は影響を受けず、不二もひたすら一人で葛藤を続ける。
不二は、リョーマのアンチテーゼではあるけれど、様相は普通の物語の枠には収まらない。
ゆえに、一見して、二人の対照は目立たない。
けれども、不二というキャラクターの、テニプリの世界における重要性というのは揺るがないものと私は考えています。

長くなりましたのでこのへんで。
またつづき書きます。

ではまた〜


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