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こんにちは、生存報告です。
関東以北大変なことになっております。
知人のお身内が行方不明の状態が続いています。
本当になすすべもない、ありとあらゆる意味において。
日常というものがいかに有り難く存在するもので、いかに危ういものの上に立っているかということを私はおそらく生まれて初めて思い知ったのだと感じます。

本日自宅待機です。
引っ越し後、北関東人となったのですが、計画停電のために最寄り駅の電車が早朝と夜しか走っていないんです。

地震の日は、午前中が卒業式で、午後は授業なし。
それが幸いでした。
地震直後、学校の周りをまだうろうろしていた卒業生たちが10名ほど学校に戻ってきて、結局5名の学生とほとんどの教員とで学校に泊まり一夜を明かしました。
コンビニで食料を調達し、机で寝ました。
この時私はことの大きさをまだあまりわかっておらず(たまたま津波の映像も見そびれた)、平然と夜中の一時過ぎまで仕事をし、在校生の成績表を作り終わったのでした。
帰宅直前に学生の安否確認。
幸い全員無事でした。
帰宅はまさに小旅行で、山手線で代々木から渋谷までの2駅間で20分かかるというありさまで、私はしびれを切らして渋谷で地下鉄に乗り換えました。

そして今、私の住む町も関東の他の町と同様、スーパーへ行っても、あるものを探して買うような状況です。
そんな中、15日は都内で観劇し(NODA・MAP)帰れないので友人がとったホテルに宿泊しました。
こんなときにそうまでして演劇を見に行くなんて不謹慎かしらと思ったのですが、上演前の野田さんのアナウンスで思い改めました。
非常時だからといって演劇や文学を制限するというのは、むしろ危険な思想なのだと。
人の心の流れを堰き止めるというのは、自然に反する行いなのだなあと。

野田さんは「煽られている」「煽られてはならない」という言葉を繰り返し述べられました。
人は言葉によって「煽り」「煽られ」、なのに、「煽られてはならない」という言葉は力無く響きます。
しかし、この言葉は私と、共に観劇した友人の心に深く根をおろしたのもまた事実。
またまたタイムリーに演劇の舞台が「火山」だったので、出てくる言葉の端々にどきどきひやひやとする自分に驚きました。
こんなにも「地震関連の語彙」に敏感になっているのだと、改めて気づいたのでした。

なすすべもない、と冒頭に書きましたが、隔離された被災地に対して、我々は本当に何もできません。
舞台のチケット売り上げはすべて義援金とするそうで、出口の募金にも応じましたが、本当にできることは手持ちの金品を提供することくらいです。
それ以外はスーパーへ行っても買い占めに走らないこと、使用電力を制限することくらいでしょうか。
しかし、この日の演者はそれぞれ神がかっていたと思います。
表現することができる者は、何もできないわけではないのです、こういう時にこそ表現すべきなのだと思いました。
観客の感受性もこの時ほど敏感だった時はないだろうと思われ、舞台と観客席とのかつてない感応が劇場を包んでいたと感じました。

多くの人の上に、日常という平和が一日も早く戻ってきますように。
何もできない我々に唯一残された祈りが力を持って働きますように。

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