今年はもう少しまめに更新します…
こんにちは、また更新しちゃいます。
DVD見ました、面白かったです~
副部長大変なことになってます。
青学も四天も3年ズは歴史アリなのよね~と改めて感じられていいですね。
でもあっという間に終わってしまった、待ってる間が長すぎる笑。
青学3年ズはかわいくてかわいくて、6人ともかわいすぎるし仲がよくて萌え萌えしてしまう!
先輩が手塚をいじめてしまったのもなんかわかる、壊してやりたくなるつーかそういうのあったんじゃないのと思ってしまう。
んで、またタイバニを一話分見て、設定がしっかりしてるな~と感心。
やっぱりバニの髪型がきになる私、しかし企業努力的に体型維持もヘアメイクも徹底する人なんだわね、たぶん。
そういえば昨日大雨の中帰るとき、雨の日英二の髪型はどうなるんだろうかと妄想してました。
広がるタイプなのかぺちゃっとしてしまうタイプなのか。
雨の日はカチューシャとか使ってくれると、ちゃらいけどイイ!
テスト勉強中も使用励行。
台風の話のプロットができました。
早く書き始めたい~!
やりながら、雲田はるこ先生原作のBLCDが昨日届き、聞いてました。
声優さんってすごい!
萌えすぎて、私もえちというかいちゃいちゃを書きたくなってしまったのです!
台風の話は中3なのでえちはさせませんが、いつもよりはいちゃいちゃさせようと思ってます。
夕飯ちゃっと作って、書く時間作るぞ!
ではまた~!
DVD見ました、面白かったです~
副部長大変なことになってます。
青学も四天も3年ズは歴史アリなのよね~と改めて感じられていいですね。
でもあっという間に終わってしまった、待ってる間が長すぎる笑。
青学3年ズはかわいくてかわいくて、6人ともかわいすぎるし仲がよくて萌え萌えしてしまう!
先輩が手塚をいじめてしまったのもなんかわかる、壊してやりたくなるつーかそういうのあったんじゃないのと思ってしまう。
んで、またタイバニを一話分見て、設定がしっかりしてるな~と感心。
やっぱりバニの髪型がきになる私、しかし企業努力的に体型維持もヘアメイクも徹底する人なんだわね、たぶん。
そういえば昨日大雨の中帰るとき、雨の日英二の髪型はどうなるんだろうかと妄想してました。
広がるタイプなのかぺちゃっとしてしまうタイプなのか。
雨の日はカチューシャとか使ってくれると、ちゃらいけどイイ!
テスト勉強中も使用励行。
台風の話のプロットができました。
早く書き始めたい~!
やりながら、雲田はるこ先生原作のBLCDが昨日届き、聞いてました。
声優さんってすごい!
萌えすぎて、私もえちというかいちゃいちゃを書きたくなってしまったのです!
台風の話は中3なのでえちはさせませんが、いつもよりはいちゃいちゃさせようと思ってます。
夕飯ちゃっと作って、書く時間作るぞ!
ではまた~!
こんにちは!
NHKのドラマ「胡桃の部屋」に瀬戸君が出演中です。
向田邦子原作のドラマ化作品ですが、この短編、読んだことがありませんでした!
大量のエッセイはともかく、小説は制覇したと思ってたんですが。
んで、早速一話を見ましたが、面白い!
先日、NHKアーカイブで「阿修羅のごとく」の一話を見たんですが、これもよかったなー。
瀬戸君、いいですよ。
公式ホームページでも、脚本家が誉めてます。
役者というのは、登場人物を頭でというより体全体で理解して、他者にわかるように体現しなければならない、考えてみれば、凄いことですよね。
一般の人なんて、普通にしてても誤解されたり曲解されたりなんてよくあることですもん。
ところで、向田邦子は長女なんですが、主人公は次女ということが多いのかな?と思い出しています。
この二作品だけだったなあ。
瀬戸君は長男で上から三番目の役で末っ子ではないんですが、向田邦子の話で末っ子というのは学生時分は成績が悪くてトロい女の子ということが多いのですね。
そのため上の兄弟姉妹に劣等感を抱いている。
でも、一見すると、天然お気楽にしか見えない、でもって情が厚くて男に入れ込みがち。
結果的に意図してもしなくても男でのし上がる、または失敗することになりやすい。
というキャラクターとして描かれていることが多い印象です。
大人数の兄弟の末っ子というものがどういうものかわからないので、英二を書くとき影響を受けてしまっているかもな〜と思いました。
さて、「ジャスミン」の続きですが、性描写を含むため笑、電車の中では書くことがはばかられ、そのためあまり進んでおりません。
一応目標を再来週アップにしたいと思います。
今からてにみゅマチネ公演です(電車移動中)。
初氷帝戦、楽しみです。
ではまた〜!
NHKのドラマ「胡桃の部屋」に瀬戸君が出演中です。
向田邦子原作のドラマ化作品ですが、この短編、読んだことがありませんでした!
大量のエッセイはともかく、小説は制覇したと思ってたんですが。
んで、早速一話を見ましたが、面白い!
先日、NHKアーカイブで「阿修羅のごとく」の一話を見たんですが、これもよかったなー。
瀬戸君、いいですよ。
公式ホームページでも、脚本家が誉めてます。
役者というのは、登場人物を頭でというより体全体で理解して、他者にわかるように体現しなければならない、考えてみれば、凄いことですよね。
一般の人なんて、普通にしてても誤解されたり曲解されたりなんてよくあることですもん。
ところで、向田邦子は長女なんですが、主人公は次女ということが多いのかな?と思い出しています。
この二作品だけだったなあ。
瀬戸君は長男で上から三番目の役で末っ子ではないんですが、向田邦子の話で末っ子というのは学生時分は成績が悪くてトロい女の子ということが多いのですね。
そのため上の兄弟姉妹に劣等感を抱いている。
でも、一見すると、天然お気楽にしか見えない、でもって情が厚くて男に入れ込みがち。
結果的に意図してもしなくても男でのし上がる、または失敗することになりやすい。
というキャラクターとして描かれていることが多い印象です。
大人数の兄弟の末っ子というものがどういうものかわからないので、英二を書くとき影響を受けてしまっているかもな〜と思いました。
さて、「ジャスミン」の続きですが、性描写を含むため笑、電車の中では書くことがはばかられ、そのためあまり進んでおりません。
一応目標を再来週アップにしたいと思います。
今からてにみゅマチネ公演です(電車移動中)。
初氷帝戦、楽しみです。
ではまた〜!
こんばんは〜
星矢ミュージカルの帰りです。
いろんな意味で急作りの作品でしたが、役者はよくやってました。
特に旧比嘉中アンド元気君、つまりはヒール側ですが、上手いです。
ブロンズはエピ少な過ぎでキャラの立ちようがないんで、失礼ですが五里霧中?と思われる役者もいました笑。
主役のケンケンと、瞬役の聖君は佇まいからして役になりきってました、役者はこうでなくてはね。
瞬なんて髪型誰コレ状態なのに、顔のイメージも違うのに、表情はちゃんと瞬なんだからすごい。
拾い物は、一輝兄さん、not旧みゅきゃすさんですが超男前。
役者はまあいいんですが、大きいお友達相手のミュージカルとしては、主題が弱いかなつー感じ。
エリス編という映画の話をポンと入れたから、話に厚みがない。
厚みというのは、代々の聖闘士の平和やアテナへの思い、受け継がれる使命感といったもの。
だからアテナを守るという使命に説得力がなく、共感のしようがない。
舞台にカタルシスがなければ、役者のファンしか見に来なくなるよー。
今日も、原作のファンは少ししかいなかったと思うけど、私も次はニコ動でもいいかーとか思っちゃいますな。
やっぱり、ハーデス編くらい重みのある話でなければダメかもなー。
ところで、昨日行くはずだったてにみゅイベント、行けなかったんです!
非常勤の先生が腸炎になり、代講入らねばならなくなり。
午後授業なかったから、ちょいと行ってまた学校戻ろうと思ってたのに。
なにがあるかわからんものですな。
気を取り直して今週末はみゅに行ってきます。
ではまた〜!
星矢ミュージカルの帰りです。
いろんな意味で急作りの作品でしたが、役者はよくやってました。
特に旧比嘉中アンド元気君、つまりはヒール側ですが、上手いです。
ブロンズはエピ少な過ぎでキャラの立ちようがないんで、失礼ですが五里霧中?と思われる役者もいました笑。
主役のケンケンと、瞬役の聖君は佇まいからして役になりきってました、役者はこうでなくてはね。
瞬なんて髪型誰コレ状態なのに、顔のイメージも違うのに、表情はちゃんと瞬なんだからすごい。
拾い物は、一輝兄さん、not旧みゅきゃすさんですが超男前。
役者はまあいいんですが、大きいお友達相手のミュージカルとしては、主題が弱いかなつー感じ。
エリス編という映画の話をポンと入れたから、話に厚みがない。
厚みというのは、代々の聖闘士の平和やアテナへの思い、受け継がれる使命感といったもの。
だからアテナを守るという使命に説得力がなく、共感のしようがない。
舞台にカタルシスがなければ、役者のファンしか見に来なくなるよー。
今日も、原作のファンは少ししかいなかったと思うけど、私も次はニコ動でもいいかーとか思っちゃいますな。
やっぱり、ハーデス編くらい重みのある話でなければダメかもなー。
ところで、昨日行くはずだったてにみゅイベント、行けなかったんです!
非常勤の先生が腸炎になり、代講入らねばならなくなり。
午後授業なかったから、ちょいと行ってまた学校戻ろうと思ってたのに。
なにがあるかわからんものですな。
気を取り直して今週末はみゅに行ってきます。
ではまた〜!
前回は、リョーマと不二との対照について書きました。
今日は、リョーマについて少し書いてから、不二の話に繋げたいと思います。
不二のキャラクターのありようというのは、リョーマというキャラクターと密接に関わっていると感じるからです。
リョーマという主人公は、相手が不二に限らず、基本的に他人の影響を受けにくいキャラクターとして描かれています。
しかし、これは少々不思議なことです。
通常、スポーツ漫画の主人公というものは、挫折を繰り返しながら、ライバルとの出会いを通し成長していくものだからです。
一方、リョーマについては、挫折というものが不思議なほど描かれません。
何しろ公式戦負け無しのキャラクターです。
例えば、作者が影響を受けたであろう80年代スポーツ漫画のスーパー主人公、天才大*翼でさえ、故障による挫折、いわゆる心が折れる瞬間を経験しています。
しかし、リョーマの場合、父親以外で唯一敗れた相手である手塚との一戦にも、その描写に挫折感はあまり伴いません。
挫折と、努力、その果ての栄光、という、スポーツ漫画独特のカタルシスを伴う一種泥臭い展開に、肝心の主人公リョーマはほとんど関わってこないのです。
しかし、読者は、テニ*リの中でそれらを味わうことができています。
それは、他のキャラクターが主人公のそうした役割を肩代わりしているからです。
挫折、努力、栄光、というキーワードが最もぴったりなのは、おそらく青学ゴールデンペアの二人でしょう。
物語前半で負けてばかりの二人ですが、そういう役割なのですから仕方ないのです。
他校にも宍戸など、そうした役割を担うキャラクターがいます。
このように、従来の主人公に期待される役割を多くのキャラクターが少しずつ担っています。
不二の、「なぜ勝たなければならないのか」という煩悶も、本来なら主人公が担うべきものなのです。
ところで、この、不二の問いに答えはあるのでしょうか。
私はこの問いというものは、答えがないもの、しかし問い続ける意味のあることだと思っています。
不二のこの問いは、言うなれば自分探しというような性質のものではないでしょうか。
自分を見せたくない彼は、本当は何も見せようがないのではないでしょうか。
なぜ勝たなければならないのか、なぜそれに意味が見出せずともテニスがしたいのか、何もかもが茫洋としているのではないでしょうか。
この問いは、「 なぜ生きなければならないのか」という、青春期独特の問いと同じ性質のもののように思えます。
この問いには、誰の人生においてもおよそ明確な解答は与えられないものです。
解答はなくとも、問い続けることをしなくなれば、おのずと解決する性質の悩みだからです。
結果には意味はなく、考え悩むという過程のみに意味があるのです。
前回も書きましたが、この不二の悩みはスポーツ漫画の登場人物には少々不似合いなものです。
私は、しかしここにこそ、テニ*リの新しさがあると感じます。
テニ*リはスポーツ漫画なのか、というのは冗談混じりであるいは揶揄としてしばしば語られますが、むしろスポーツ漫画を超えたものなんだと解釈できないでしょうか。
主人公が所属する学校の名前にあるように、作者が描きたかったのは青春そのもので、テニスは題材にすぎないのではないでしょうか。
だから、不二が抱くような、スポーツマンらしからぬ悩みも内包できるのではないでしょうか。
リョーマの対照として不二のキャラクターが提示されつつも、物語のセオリーを無視して不二の悩みが解決しないのは、解決しないことが青春の真理だからです。
また、一見スポーツマンらしからぬ不二の悩みは、実は青春期にはすべての人々が多かれ少なかれ抱くものです。
テニスのリアルから乖離したとしても、青春のリアルからは乖離していない、テニ*リとはそうした作品だと、私はとらえているのです。
わー長くなりました、まだ続くかもです笑。
リョーマについて書き残しがあるので、余力があれば書くかもしれませんし書かないかもしれません。
ではまた〜
今日は、リョーマについて少し書いてから、不二の話に繋げたいと思います。
不二のキャラクターのありようというのは、リョーマというキャラクターと密接に関わっていると感じるからです。
リョーマという主人公は、相手が不二に限らず、基本的に他人の影響を受けにくいキャラクターとして描かれています。
しかし、これは少々不思議なことです。
通常、スポーツ漫画の主人公というものは、挫折を繰り返しながら、ライバルとの出会いを通し成長していくものだからです。
一方、リョーマについては、挫折というものが不思議なほど描かれません。
何しろ公式戦負け無しのキャラクターです。
例えば、作者が影響を受けたであろう80年代スポーツ漫画のスーパー主人公、天才大*翼でさえ、故障による挫折、いわゆる心が折れる瞬間を経験しています。
しかし、リョーマの場合、父親以外で唯一敗れた相手である手塚との一戦にも、その描写に挫折感はあまり伴いません。
挫折と、努力、その果ての栄光、という、スポーツ漫画独特のカタルシスを伴う一種泥臭い展開に、肝心の主人公リョーマはほとんど関わってこないのです。
しかし、読者は、テニ*リの中でそれらを味わうことができています。
それは、他のキャラクターが主人公のそうした役割を肩代わりしているからです。
挫折、努力、栄光、というキーワードが最もぴったりなのは、おそらく青学ゴールデンペアの二人でしょう。
物語前半で負けてばかりの二人ですが、そういう役割なのですから仕方ないのです。
他校にも宍戸など、そうした役割を担うキャラクターがいます。
このように、従来の主人公に期待される役割を多くのキャラクターが少しずつ担っています。
不二の、「なぜ勝たなければならないのか」という煩悶も、本来なら主人公が担うべきものなのです。
ところで、この、不二の問いに答えはあるのでしょうか。
私はこの問いというものは、答えがないもの、しかし問い続ける意味のあることだと思っています。
不二のこの問いは、言うなれば自分探しというような性質のものではないでしょうか。
自分を見せたくない彼は、本当は何も見せようがないのではないでしょうか。
なぜ勝たなければならないのか、なぜそれに意味が見出せずともテニスがしたいのか、何もかもが茫洋としているのではないでしょうか。
この問いは、「 なぜ生きなければならないのか」という、青春期独特の問いと同じ性質のもののように思えます。
この問いには、誰の人生においてもおよそ明確な解答は与えられないものです。
解答はなくとも、問い続けることをしなくなれば、おのずと解決する性質の悩みだからです。
結果には意味はなく、考え悩むという過程のみに意味があるのです。
前回も書きましたが、この不二の悩みはスポーツ漫画の登場人物には少々不似合いなものです。
私は、しかしここにこそ、テニ*リの新しさがあると感じます。
テニ*リはスポーツ漫画なのか、というのは冗談混じりであるいは揶揄としてしばしば語られますが、むしろスポーツ漫画を超えたものなんだと解釈できないでしょうか。
主人公が所属する学校の名前にあるように、作者が描きたかったのは青春そのもので、テニスは題材にすぎないのではないでしょうか。
だから、不二が抱くような、スポーツマンらしからぬ悩みも内包できるのではないでしょうか。
リョーマの対照として不二のキャラクターが提示されつつも、物語のセオリーを無視して不二の悩みが解決しないのは、解決しないことが青春の真理だからです。
また、一見スポーツマンらしからぬ不二の悩みは、実は青春期にはすべての人々が多かれ少なかれ抱くものです。
テニスのリアルから乖離したとしても、青春のリアルからは乖離していない、テニ*リとはそうした作品だと、私はとらえているのです。
わー長くなりました、まだ続くかもです笑。
リョーマについて書き残しがあるので、余力があれば書くかもしれませんし書かないかもしれません。
ではまた〜